私の父は、80代に突入した。
少々口うるさいところはあるが、
元気でいてくれるのはありがたいことだ。
月に一度ほど実家へ帰り、
お昼ごはんを両親と食べている。
母いわく、最近の父は、
少し怒りっぽくなったらしい。
私も実家に帰り父と話していると、
時おり、父が怒っているように
思うときがある。
私が若い頃なら、
そんな時は言い合いになっただろう。
でも私も大人になった今は、
できるだけお互いが良い気分でいられるよう、
父とぶつからない方法を考えるようになった。
父とぶつからないために見つけた「Iメッセージ」
お互い良い気分でいるためには、
父の怒りに同調しないことだ。
そしてそんな時には、
私はこう父に言うことにしている。
「そんな怒って言われたら、
ちょっと怖いわー」
「もう少し優しく言ってくれたら
うれしいなー」
ポイントは、父に対して、
「怒らないで」とか「もっと優しく言って」
そのような行動を求めないことだ。
あくまでも、
そうしてくれたら、私は「うれしい」と、
主語を自分にして話すことがポイントだ。
これをI(わたし)メッセージという。
たとえば、
父に対し「怒らないで」と言うのは、
父へ、こうして欲しいという要望だ。
いっぽう、
怒らなければ「(私は)うれしい」は、
父へ、こうしてほしいという要望はない。
あくまで「わたしはこう思う」という、
自分の気持ちを伝えているだけ。
私もそうだけど、人って、
自分に対して、ああしろ、こうしろって
言われるのは、基本的に嫌だよね。
だから、それはやらない。
あくまでも、
父が私に何かしてくれたときの、
自分の気持ちを伝えるってことであれば、
相手への負担もないうえに、
やってほしいことも伝わって一石二鳥。
なぜ父は怒りっぽくなったのか、考えてみた
また、
父は80歳も超えているし、
ちょっとしたことでカッとなったり、
怒ることはしょうがない。
でも、父の怒りの本当の理由は、
「自分が認められていない」という、
何か満たされないような不足感から
来ているのではないかと思ったのだ。
ちょっと分かりづらいので、
順を追って説明するね。
自分の父のことを言うのもなんだが、
若い頃はしっかりして、頭の回転も早かった。
そんな父は、定年退職の少し前に会社を辞め、
技術コンサルタントとして、
個人事業主で第二の道を歩き始めた。
しかし、70過ぎたころからだろうか、
父との会話の中で、
「こんな仕事の誘いがあって、今度人に会ってくるんだ」
そういう話を父から聞くものの、
次に会った時、仕事がどうなったかを聞くと、
その話が流れてしまった、そう聞くことが増えた。
思い返すと、その頃あたりから、
父との会話の中で、忘れている記憶を取り戻すような、
「えーっと、あれが」とか、「その、あれやあれ」、
そんな風に、言いたい言葉がパッと出てこないことが、
増えていた。
もちろんそれは、年齢的にしょうがない。
おそらくそうしたことが、仕事に繋がらなかった
原因だと思う。
私はいつもそう思っていた。
でもね、当事者の父本人が、そのことをいちばんよく、
わかっていたのではないかと思うんだ。
父は、若い頃は出来ていたことができない、
そんなもどかしさ、やるせなさ、不甲斐なさを
感じていたのではないだろうか。
それは悲しさや寂しさでもあったのではないだろうか。
そんな行き場のない感情が、
怒りというかたちで出てしまったのではないか、
私はそう思うんだ。
母が下手な、父の優しさの受け取り方
また、大人になって気づいたのだが、
私の母は、父の優しさを受け取るのが、
娘の私から見ていて下手なのだ。
たとえば、母が重い荷物を持っているとき、
それを見た父が、母に荷物を持ってあげるよ、
そう言っても、母はいつもそれを断る。
母は父に悪いと思う母なりの父への気遣いだが、
ありがとうって持ってもらえばいいのにと思う。
「ありがとう」って、
父の申し出を素直に受け取ることで、
父は、気持ちを受け取ってもらえたと、
心が満たされる。
そして、荷物を持ってあげることで、
母の役に立てたと思えるのだ。
でも、母がそれを断ってしまうと、
父の気持ちの行き場がなくなってしまう。
父の気持ちを受け取ってもらうこと機会や、
役に立てている、承認されている機会が、
ますますなくなっているのではないか。
会社で働いていたときであれば、
会社でそれなりに認められたり、
感謝されることもあったであろう。
人というのは、
そうした承認欲求を持つ動物だ。
でも会社を退職した今となっては、
そういう機会もなかなかない。
父だって、人から認められたいし、
ありがとうって言ってもらいたい。
今まで出来ていたことができない焦りと、
認められたい、誰かの役に立ちたい、
そんな気持ちが入り混じった感情が、
「怒り」として現れるのではないかと思う。
小さな「ありがとう」を伝えるようにしている
だからわたしは、
父が何かしてくれた時には、
感謝の言葉を、ちゃんと伝えるようにしている。
たとえば、私がお昼に実家に行くというと、
父はよく、近所のスーパーに私の好物である、
マグロのお刺身を買ってきてくれる。
そんな時は、
「オトンがこのマグロ買ってきてくれたんだ、
美味しいねー、ありがとう」
私が食事をしている際、
お茶をいれてくれていた時には、
「オトンがお茶入れてくれたんや、ありがとう」
父が新しいパソコンを買ったとき、
データの入れ替えを父が自分でしたときには、
「すごいやん!これオトンがやったんやー」
そんなふうに、わたしは、感謝の想いや、
すごいねーという気持ちを伝える。
言葉にしなくても、私は父には感謝をしている。
でも、言葉にするから父に伝わるのだ。
それが、父とのコミュニケーションがよくわからず、
子供の頃からよく喧嘩をしたり、
大人になっても価値観の違いから結婚のことなどで、
喧嘩したり怒りをぶつけながら、
それでも嫌いになりきれない不器用な娘が見つけた、
私なりのコミュニケーション法だ。
50代になった娘が、試行錯誤しながら見つけた、
父との良い関係を築く方法だ。
これが本当に正しいのかは正直分からない。
でも確かなことがある。
それは、父へ感謝の言葉を伝えたり、
父ができたことをすごいねーって、
言葉にしていると、
父の笑顔が増える、
母との3人の会話にも笑いが増える。
それは、私から父へ、
そして父から私への、
気持ちのキャッチボールにも似ている。
これは、父のためだけじゃない
だからもし、
あなたのお父さまが、
最近なんだか怒りっぽいとか、
または、あなたがお父さまと、
長年わだかまりがあったけれど、
今ならお父さまに少し歩み寄れそう
でも、どうしたらいいか分からない、
そのような状況であれば、
ちょっとしたことでいいので、
何かしてもらったことに、
ひとこと「ありがとう」を
伝えてもらいたい。
大きなことに対しての
「ありがとう」でなくていい。
ほんの小さいなことでいい。
たとえば、食後に桃をむいてくれたら、
「ありがとう」
お茶を入れてくれたら、
「ありがとう」
そんな日常でよくある、
些細なことでいい。
あなたの感謝の言葉や、
あなたの素直な気持ちは、
お父さまの気持ちをほぐし、心を満たし、
きっと笑顔にしてくれるから。
そしてこれは、
お父さまのためだけじゃない。
結果的に、自分のためだ。
今週末は、父の好きなゴディバのケーキを
買っていこうと思う。
今日のお話が、
あなたのお役に立てたら嬉しいです。